ゆきそのかまどぶろぐ

10月に気仙沼で活動してきた早瀬の個人ブログです。
彼女が気仙沼で見て感じたものを書いてあります。
ツタエテガミプロジェクト以外のことも書いてありますので
こちらもご覧下さい。

ゆきそのかまどぶろぐ
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気仙沼での活動(2011.10)*NO.2

松岩中学校をあとにして、3人で気仙沼復興協会(KRA)の事務所へ。

KRAホームページ

牧先生が先に事務所にいらっしゃっていたので、一緒にKRAの方とお話しする事ができました。

KRA福祉部の方々が開催している仮設住宅でのお茶会で、ツタエテガミプロジェクトで集まった手紙を仮設住宅の方々に届けてくださる事になりました。

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この後、私は午後から支援バスの方々とは別行動で、牧先生ともう一泊する予定にしていたので、大学生の2人を見送って、KRAに残りました。

KRAのスタッフさんは地元の被災失業者で構成されています。
仮設住宅に住みながら、仕事をしているスタッフさんもいます。

牧先生はそのスタッフさんの相談を受けていました。

スタッフのみなさんは自身も被災されていながら、気仙沼のことを一生懸命考え悩んで、気仙沼の人たちが安心して生活出来るように、より良いコミュニティを作ろうと頑張っていらっしゃいました。

KRAには、写真部というものもあります。

津波で流されてしまった写真たちを見つけ、それを保存可能な状態に洗浄して体育館に集約しているのです。

そこにも行かせていただきました。

写真部のスタッフの方は

今は辛いから見たくないという方もいるので大々的に公開はしていません。
だけど、いつかまた見たいと思えるときが来るはずなので、そのときの為に私たちは今もまだ瓦礫に埋もれる写真を洗浄するんです。

とおっしゃっていました。

牧先生は阪神大震災では何もかもなくなってしまって自殺した方もいたので、大切なものがこの体育館の何処かにあるかもしれないという希望が持てることは素晴らしいという話をしてくださいました。

思い出の写真が無くなる悲しさ。
亡くした方の写真ならなおさらです。
探しにきた方の大切なものが無事見つかりますように。



体育館でお話を聞いてる途中で緊急地震速報が鳴りました。

しばらくするとゴゴゴゴゴ…と地響きのような音が聞こえ、揺れ始めました。

皆さんは冷静で、建物の外に誘導され避難しました。

今もまだ続く余震。

これが毎日のようにあったのかと思うとゾッとします。




今回の気仙沼の訪問では、たくさんの気仙沼の方とお話する機会がありました。

『今、この(仮設住宅を訪問する)仕事をしていて、通勤路を毎日通いはじめて7ヶ月経つのに自分の置かれている状況が未だに信じられない事がある。
この景色はなに?
なんでこうなったの?
"あの場所にあれがあったはずだ"と必死に思い出す。』


重機のなかにたまたま入って、しかも流れてきたひとを引っ張って救出して奇跡のような助かり方をしたひと。

家族を迎えに行く途中で亡くなってしまったひと。

"自分の身は自分で守る"という言い伝えがあるのでとにかく高台に走ったというひと。

あれから7ヶ月経つけど、あの日の爪痕は街の中にも心の中にも残ったままだということがわかりました。

消える事があるのだろうか…
と不安に思うほどでした。


『漁業が盛んな気仙沼は、海の存在は必要不可欠です。
海に生かされている以上、
海と生きる覚悟が必要なんです』


皆さんそれぞれいろんな思いを持っていました。
その姿を目の当たりにして、全員に強さを感じました。

気仙沼に生きること。

私には全て理解することはできないと思います。

でも、ここで生きようとしている方々の力になりたいと改めて強く思いました。

本当に微力かもしれない。

でも、それを続けることで大きな力になるかもしれない。



人と人がつながって

一人でも多くの笑顔や元気が取り戻せたら

そのお手伝いができたら



これからもがんばろう
また絶対来よう
と思った二回目の気仙沼訪問でした。


たくさんのものをいただいて帰ってきました。


書き足りないところがたくさんありますが、この辺で。



これからもたくさんのお手紙を集めていきたいとおもっています。


みなさまのご協力、よろしくおねがいします。

気仙沼での活動(2011.10)

10月7日の夜に岡本をマイクロバスで出発し、8日のお昼前に気仙沼に到着しました。

岡本商店街はソーシャルメディアで情報発信のお手伝いをする為、ITに強い方々を中心にこんなブースで活動。



その横でツタエテガミプロジェクトの紹介をさせていただきました。


お祭りには、なんと、6月からお手紙のやりとりをさせてもらっている方が会いに来てくださりました。

やっと会えた!!

という感じ。

初めてだったはずだけど、久しぶりの再会のような、なんとも言えないあったかい気持ちになりました。

また会いに来ることを約束して、記念写真を。

気仙沼滞在2日目。

朝は、青龍寺から気仙沼港まで街の様子を見ながら歩きました。



現在もこんな感じ。

6月に来て以来、大きく変わった所は感じられませんでした。

ただ、港には船が何隻か停まっていて、カモメやウミネコもたくさん飛んでいたし、海を覗くと小魚やクラゲの赤ちゃんもいて、生き物は戻って来てるんだなという印象です。

前回はマスクがないと辛いほどのにおいでしたが、今回は大丈夫でした。

それから、私は大学生2人について来てもらい、お手紙のやりとりをしている方がいらっしゃる仮設住宅(松岩中学校)に伺いました。



急な訪問だったので、会えるかは分かりませんでした。

もしいらっしゃらなくても、書き置きだけでも残せたら…

この仮設住宅で今回ツタエテガミプロジェクトで預かったお手紙を一通でも届けられたら…

という気持ちで行きました。

お手紙に書いていた仮設住宅の番号をもとに訪ねると、中から写真の彼女が出て来てくれたのです。

最初は私のことをだれだか分からなかったみたいですが、

『神戸から来た早瀬です。』

と言うと、すぐ分かってくれました。

ぱぁっと笑顔になってくれて。

招き入れてくれたお部屋には旦那さんもいらっしゃいました。

皆でお話をしていると娘さんも帰って来て、とてもビックリされていました。

急にお邪魔したのにみなさん喜んでくれて、私も涙が出るほど嬉しかったです。

3.11のときのお話も聞かせてもらいました。

行方不明になったご兄弟が遺体で見つかったとき、ショックのあまり涙も出ず、当時は彼のことを思い出せなかった時があるとおっしゃっていました。

避難所から仮設住宅に移る事はできたが、狭い所に6人暮らし。

みなさんそれぞれ色んな辛い思いがあること、前を向いてみても先が見えない不安を抱えていること、それでも生活はしなければいけない。
日々に追われながら過ごしていることを知りました。

今回、実際に会いに行って、感謝の言葉をもらったことで、ツタエテガミプロジェクトの目的を体感しました。

自信になりました。

こんな私のつたないお手紙でも、あんなにも喜んでくれる方がいました。

お金もないし、時間もない。
だから被災者の支援ができ無い。

そうじゃない。

誰にでもできるお手紙での支援。

お返事が来なくても、誰かの元に届いたお手紙はきっとその人の心に残っています。

(娘さんはお子さんの事や様々な手続きなど、日々に追われてお返事書けなかったが、とっても嬉しかったと言ってくださいました。)

そこから繋がれたらきっと会いに行きたくなります。

会いにいけなくても、お手紙でつながる事で、その土地が一気に身近になります。

一対一の繋がりってこういう事だとおもうんです。

支援とは言ってるけど、わたしはあの笑顔に出会えたことで本当に救われたと言うか、逆に助けられたような気がしました。

たくさんのものをいただきました。

一時間足らずの滞在でしたが、本当に素敵な時間でした。

長くなったので続きは次回に。
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プロフィール

ツタエテガミプロジェクト

Author:ツタエテガミプロジェクト
2011年6月より神戸・岡本で活動中。

東日本大震災の被災地である宮城県に住む人との文通を通じて、一対一のこころの繋がりを作るきっかけになればと思い
活動しているプロジェクト。
ひとりひとりが繋がって長い心の支え合いを目的としています。

ツタエテガミプロジェクト代表
稲冨歩美・早瀬友季子

★お問い合わせ★
tsutaetegami@gmail.com

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